21世紀少年

僕が一人で歩いている姿を見た友人に目の前にぶらさがった人参を追って歩いている馬のようだと言われた。そう言われてみればこの一年は届かない人参を追う馬のような日々で振り返るとこのダイアリーに最後に日記を付けたのは一年前の今日だった。今日21歳になったのでちょうどいいので最近思うことをだらだらと書いていきたい。


この21年間を振り返ようと頭蓋骨の奥に潜り込んでみる。日々の断片は全てカタチが無くなるまで煮込まれてしまって巨大なナマコかウミウシのようになって脳裏を這いずり回っている。それらは四六時中這いずり回るからいつも体中がムズムズしている。


21年間は予想以上に長かった。こんな人もいるんだ、あんな人もいるんだ、気が合う人がいるな、変な人がいるな、おもしろい人がいるな、よくわからない人もいるな、の繰り返しだった。ロンドンでの生活もしばらくがたち僕を信頼してくれる人たちも増えてきた。人の名前と顔を他の人が覚え続けているコトって当たり前のようでスゴいことだと思う。この場所でも僕の名前と顔を頭のどこかで覚えていてくれている人たちがいる。そうやって僕は何となくここに存在しているんだと思う。


僕は今ロンドン大学に通っていて美術や美術理論を勉強している。コノ一年、少しずつ何かが分かってきた。今の僕はグチャグチャしてるけど、それでも前に進んでいる実感がある。そう感じる。体育館いっぱいに電球が並べられているとする。ロンドンに来る前の僕はその中で唯一光っている一つの電球だけを見ていた。それはクッキリと明確で僕はそのフィラメントの震えさえも逃さずに見ることが出来た。今の僕は体育館全体に広がった無数の電球に目を向けようとしている。それらの電球は今の僕には光ってくれない。それでもその暗闇を見続けていたら少しずつ目が暗闇に慣れて幾つかの電球のカタチがぼんやりと見えるようになってきた。そんな気がする。


僕は自分の心の中なのかどこか不確かな場所にある何かを誰からも触られないように生きている。カバディと連呼しながら滑稽であり真剣に。それは腰に付けたひものようなもので、それを取られたら僕が僕で無くなるような気がする。


2020年のオリンピックは東京に決まったそうだ。2020年には僕は30歳を手前にしていてオリンピックに出場するならラストチャンスだろうか。引退は潔くしたい。昨年のロンドンオリンピックは男子フェンシングの決勝を見に行った。ハンガリーとドイツの選手だった気がする。優勝が決まった瞬間、特にどちらの選手にも思い入れはなかったけど、なぜかモノスゴク涙が止まらなくなった。メダルの授与式、国家が鳴り響き国の旗が上に登っていく。金銀銅の選手の背中を見ながら、どうにも胸の奥がカッカしてグラグラした。それは感動と同時に悔しさでもあった。「なんで僕はコノ場所に立たず、こんな遠くの席で見ているだけなんだろう」と思った。先日、初めてベネチアビエンナーレを訪れた。7月にはエジンバラ演劇祭を見た。僕は今、僕の目の前で繰り広げられている超絶おもしろそうな世界の蚊帳の外に居る。その世界を窓越しに見つめ意地汚く指をくわえている。


今しか出来ないこと、大学生だから出来ること、若いから出来ること、そういうものはこの世には沢山あるけど僕はそれを信じない。


僕には夢がある。心を掘り返せば100個だって出てくる。それは夢と言うよりは予定であり僕のスケジュール帳に勝手に予定されている。この一年はどの夢も叶わなかった。4年くらい前に今頃はコレくらい出来てるだろう、と思っていたことは殆ど出来なかった。一年前の今日、僕は365日8760時間を目の前にどんと置かれて勢い良くソレを担いで「じゃあ今から行ってきます」と勇んで家を出発したはずなのに一つ小高い丘をのぼったくらいの地点で遠くまで来たなと思って振り返ればまだ僕が出発した家はあんなに大きく見えている。


たぶん何年か前の僕が今の僕が考えていることを聞いたら「まどろっこしくて頭でっかちな奴になっちまったもんだ」とでも思うだろう。それでいい。それもいい。何となくそう考えると自然とニヤニヤしてしまう。してやったりな気分になる。


僕は最低でも100歳まで生きたい。
あわよくばその後8年生きて22世紀を迎えたい。


 i Phone の充電が 21%だと100%まで相等時間がある。


21世紀少年、僕はまっただ中にそこにいる。
1年前はぼんやりと気体として頭の中にあったものが固体になった時それは一気に明確になり、またとてつもなく漠然となった。
僕が今できることは毎日をただひたすら全うし満足して眠る。来年の今頃は疲れ切り呆然とした表情で22歳を迎えていたい。

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